目黒シネマ「市川準監督特集」
13回忌である。残念ながら、街や、風景や、孤独や、女の子や、世界を、暖かくもするどい眼差しで見つめ、切り取ってきたこの映画作家に対する十分な言葉を私は持ち合わせていない。なんとなく歯がゆい思いである。
映画芸術をみていると、フィルムに映っていない、その、カメラの反対側、向こう側にいる監督の顔が”視えている”瞬間というものがある。大抵の作品は野心あふれるギラギラしたそれだったり、したり顔で見下ろしているそれだったりするのだけれど、市川準の場合は優しく、楽しそうに微笑んでいるそれが見えるんです、なんでなんだろう。
近年の映画、例えば岩井俊二の、是枝裕和の、坂元裕二の、あるいは哲学だけで塗りつぶされた山戸結希の、あるいは箱庭の中で輝いている山田尚子の、あるいは中川龍太郎の街への目線の、その中に市川準のまなざしの・ようなものを視てしまうことがあって、
それを友達や、好きな人や、あるいはまだ全然知らない人と分かりあえたら、共鳴できたら幸せなことだろうか、と夢想してみたりする。
やはりね、話せば話すほど野暮になってしまいそうで、それはきっとその映画とは反対なことであるから、なんとももどかしいのですが、
ともかくね、目黒シネマというおなじようにあたたかな劇場で、毎年、ささやかに彼の映画がかかっていることがとてつもなく嬉しいことなのです。きっちりと毎年足を運べているわけではないんだけどね。ですが、金曜日まで、まだほんの少しだけ時間があるので、機会を伺って、ひそひそと、観にゆきたいとおもいます。なんの報告だ。こんなふうにつらつら連ねても、観たことのない人には、何も伝えられていないと思うのですが、それが伝わらないからこその映画芸術なのだと思う。この際、言葉でさえも、市川準が遺したものにすべて委ねてしまおうかと思う。
僕の映画は、最終的には、
孤独な一人に届けばいい
【雑記】今週の思っちゃった
好きなものが消費されてしまっているのを目の当たりにしてしまうと、なんだかとてもげんなりしてしまう時がある。資本主義のこの世の中では、消費されてなんぼやというのはわかってる。しかし、どうしても特別な思いを抱いているものについては、「熱」や「愛」が無さすぎるのを見た時に耐えられなくなってしまうんだよな。そんなのあなたの目線の話でしょ。わかってる、わかっちゃいるんだけどさーってやりきれない話。+Jについてのあれこれを見てしまい、自分でもびっくりするくらい落ち込んでしまっていたのだという話。その日、私は大好きな古着屋さんに立ち寄って、スタッフの方と話し込んで、可愛いコートを買った。実のところ、勢いとノリで買ってしまったので自分に似合うか分からなかったのだけど、帰ってから鏡の前で色々な自分の持っている服と合わせてみたら、ああ、とてつも良いコートじゃないか!と買ってよかった!とめちゃくちゃ幸せな気持ちで満たされた。+Jについてのあれこれはもう考えなくなった。前置きが長くなったけど、光石研の東京古着日和というドラマが面白い。どういった作品なのかの詳しい説明は省くけれども、光石研さんが本人役として出演されて、ただ気になる古着屋に出向いて、孤独のグルメよろしく好きな古着を試着して買うというだけのドラマ。演技は回を追うごとに過剰になっていて、そこはどうにかしてほしいんだけど(笑)、良い洋服を買ったときに、少し別の日常が生まれる瞬間であったり、買ったばかりの洋服をすぐに着てしまったり、ファッションとして消費はしているのだけども、そこに愛情や熱が生まれているのが見ていて心地いい。すごく好きなドラマです。
2.伯山カレンの反省だ!!<東野幸治がカレンにクレームだ!>
チャド君に薦められてからたまに見ている番組なのだけども、今週の伯山カレンがとっても素晴らしかった。内容としても面白かったのだけど、滝沢カレンさんの、この番組や神田伯山さんに対する愛がビンビン伝わってきた。「(番組を文化祭と例えて)一緒に作り上げていっている」「仲間です」など、なんかちょっと泣きそうになっちゃったな。伯山さんに嫉妬する東野幸治さん、ちょっと本当に羨ましそうな感じでそれも最高だった。
うめもと
銀杏BOYZ「ねえみんな大好きだよ」
今の今まで「私と銀杏BOYZ」みたいなクソみたいな文章を書いてたのだけど、ちっとも面白くないので全部消して書き直してる。銀杏BOYZの「ねえみんな大好きだよ」というアルバムが僕は好きだ。それでもういいじゃんね。俺はいったい何をこねくりまわして銀杏BOYZを語ろうとしてたんだろうか、あーはずかし。
このアルバムを聴くまで、「もう銀杏BOYZを聞いても昔のように好きだなとは思わないんじゃないか」と思っていた。これまで出たシングルを聞いても、正直冷静に受け止めていたし、なんだか今更「ロックンロールは世界を変えて」なんて歌われてもなあ、もう僕もアラサーだし、現実は厳しいし、みたいな感じで、あとは自分自身の音楽の好みも変わっていってるし、以前ほどの熱量では銀杏BOYZを追いかけるという言い方は変だけど、まあ俺も大人になってしまったんだなーと思っていた。
「ねえみんな大好きだよ」には”恋”とか”青春”とか”あなたと僕”がやっぱり歌われていて、”夏の終わりでプールサイドの君はウインク”しているし、”セブンティーンアイスは美味しい”、うーん、やっぱり聞いていてなんだかくすぐったい。くすぐったいんだけれど、再録された「エンジェルベイビー」のどうにも手数の多いドラムに愛おしさを感じるのはどうしてか。聞いていると10代の頃の自分が帰ってくる、なんてことはやっぱりないんだけども、そのくすぐったい気持ちになること含めて嬉しかった。あの頃のようなノスタルジーとかでなくて、今の銀杏BOYZの音楽を好きだと思えた。「生きたい」や「DO YOU LIKE ME」はまだよくわかんないけど、これからゆっくり好きになっていこう。30歳を過ぎて「恋は永遠」や「アレックス」といった曲を歌う銀杏BOYZを好きになれたことが嬉しい。それは少し退屈、、なことかもしれないけれど、でも今はそれでいいんじゃないかなーと思ってる。
うめもと
小沢健二「So kakkoii 宇宙」
昨年の個人的な年間ベストを選ぶ時、このアルバムをTop10に入れてしまうか非常に迷った。こんなに説教くさいアルバムもないよなぁ、と思ったのだ。
また冬になり、そして時は2021。またも街を憂鬱が覆い、イメージの偽装が横行する?しかしね、その音楽は古くならないのだ。それはキラキラするばかりの時代の色がついてしまった、かつての小沢健二の音楽も含めて。あの憂鬱と混沌と混乱のカウンターの中で提示されてしまった、毎日への啓示すらも含めてそうなのである。
さて、ストリングスを浴びせられ、"その謎"について考えている私に追い向かってくるのは、その次の曲のイントロ。私はこの曲がずっとずっと大好きなのだ。
羽田沖 街の灯がゆれる
東京に着くことが告げられると
甘美な曲が流れ
僕たちはしばし窓の外を見るもしも間違いに気がつくことがなかったのなら?
この導入はもはや演歌ではないか、と思う。演歌なのだから、私はその彼であり、それは飛行機に乗せられていることであり、同じように東京の街を見る。夜だろうか。
そのことは確かに「意志」であり、そうなのだ、と私は同じように思う。
(どうしようもなく美しい導入ではないだろうか?)
さて、ところで、それより、それはそうと、コンテンツは責任を取らない。
足を取られずに良い顔だけみて嘲笑い、ふわふわとまた簡単に何処かへと飛んでいってしまう。
それに限らなく似た笑顔の君は、
渋い顔をして、柔らかく、しかし固まった意志のある言葉になって問いかけてくるので、
それを聴く笑顔の僕は同じように渋い顔をして、「難しいなぁ」なんて言って消費して順番をつける。しかしだからこそ君はしっかりと責任をとるのだ。
「寝たら、昨日の私はもう今の私とは違う私だから」なんて、適当なこと言って日々の責任をとらずにいる私に問いかける。
だから、私も意地になって問いかける。
果たして覆ったその「嘘」は、
覆われたことは、騙されたことは本当だったのか?
君に対し問いかけなおしてみることができる。
君は責任を取れる。
ちゃんと残しておくというのはどうしようもなく誠実なことだと思う(Twitterの新機能の話ではない)。
だから私は君のことをいつまでも嫌いにならずにいられるのだ。
だからこうして、冬が来るたびに聞き返してクビを傾げたり、泣きそうになったりすることができる。
溢れる愛がやってくる!
その謎について考えてる!
やはり、とても大好きなアルバムです。
【雑記】バイオレンスが苦手
なのだけれど「キル・ビル」が大好きで、私も昨日「キル・ビル」の好きなシーンだけを繰り返し流していたのです。タランティーノで一番好き。なんであんなにどきどきするんだろう。あれはきっと、恋のドキドキに似ている気がする。思い出せないけど。
きっと、(特に苦手なバイオレンスによって)物語のリアリティラインを飛び出してしまうとき、冷静に物事を捉えようとしている脳みそのタガが外れて、笑いが止まらなくなってしまうのです。ドーパミンがあふれるってこのことなのかな。以下は羅列。意味はないですが思いついたら増やします。
島本和彦「逆境ナイン」/ クエンティン・タランティーノ「キル・ビルVol.1&Vo.2」「デスプルーフ in グラインドハウス」/ 中島かずきとか「天元突破グレンラガン」「プロメア」/ GAINAX「FLCL」と新谷真弓の発声 / マシュー・ヴォーン「キック・アス」/ 園子温「地獄でなぜ悪い」/ 矢口史靖「ひみつの花園」 / 横浜聡子「ウルトラミラクルラブストーリー」 / 石井裕也「川の底からこんにちは」における社歌 / ポケットモンスター16話「ポケモンひょうりゅうき」 / 新海誠「天気の子」の銃(そして男の子は線路を駆けるのだ) / 無人在来線爆弾 / バーフバリ / ぶりっ子大座決定戦 /ランジャタイのネタ / 好きな女の子のうた
おやすみなさい。
石、転がっといたらええやん
1.チェンソーマンの最新巻を読んで以降、チェンソーマンの事ばかり考えてしまう。実のところ、いまだにこの作品については面白さを今一つ掴み損ねている感じがしているんだけども、毎週月曜の更新に見るSNSの熱(時にそれは阿鼻叫喚であったりする)であったり、チェンソーマンにまつわるカルチャーについてのあれこれなど、面白いことになってるよなーとはミーハー感バリバリに思っています。POP LIFE:The Podcastのチェンソーマン回は特に無数のカルチャーワードが飛び交いまくっていて、この作品の懐の深さを思い知ってしまった。ちなみに4回にわたるPOP LIFEのチェンソーマン回ですが、最終回となる#110はチェンソーマンの最新のネタバレにも話し込んでいてそうな気がして、聞きたいけど聞けないでいる。チェンソーマンなー、私はどうにもデンジというキャラクターをどう捉えていいのか分からないままずっと読んでいるのだけども、三原勇希さんが「デンジ可愛いしカッコいいじゃないですか!」と言ってて衝撃を受けてしまった。そうか、デンジって可愛いくてカッコいいのか。うーん、全然わからん。私はビームが好き。サメが好き。
2.そんな事を思いながらPodcastを聞いていると、チェンソーマンには映画や漫画、小説などの無数のカルチャーが引用されている事を知る。確かにチェンソーマンの帯には作者が「悪魔のいけにえ大好き!」「へレディタリー大好き!」「ゲットアウト大好き!」など作者の趣味嗜好が呟かれている。実際にどの程度が作品の中に反映されているかは分からないけれど、作者のインタビューでも漫画を作る際に無数の名作と呼ばれる映画を沢山見たといったコメントもあったりと、チェンソーマンの作風には確実に影響を及ぼしているんだろうなーなんてことを考えると、急に自分自身の映画熱が沸々と沸き上がってきてしまい、先週末は沢山の映画を見た。「デスプルーフ in グラインドハウス」「イレイザーヘッド」「クワイエット・プレイス」「貞子vs伽耶子」「犬猿」どれもどこかズレていて、でも笑える瞬間があって最高だった。見たい作品をNetflixのマイリストにぶち込んでは結局見ないままにする、そんな日々とはおさらばするぜ。今はコワすぎ!シリーズとアリ・アスターの2作品が見たいのです。実はアリ・アスターの作品って見たことがないんだよな。
3.新しい音楽をあまり追えない状態に陥っていて、そういう時はラジオに逃げているのだけども、ある日たまたま、くるりの事を思い出して「石、転がっといたらええやん」を久しぶりに聞いたらめちゃくちゃよかった。石、転がっといたらええやんって適当な感じでめちゃくちゃいいよね。これくらいラフな感じでやっていきたい。特に意味はない、みたいな事をもっとやっていこうよ。
うめもと