カルチャー交感ノート

今週聞いたもの、見たもの、読んだものを書いて、交換して交感するノート

目黒シネマ「市川準監督特集」

f:id:culturekoukannote:20201124194139p:plain

13回忌である。残念ながら、街や、風景や、孤独や、女の子や、世界を、暖かくもするどい眼差しで見つめ、切り取ってきたこの映画作家に対する十分な言葉を私は持ち合わせていない。なんとなく歯がゆい思いである。

映画芸術をみていると、フィルムに映っていない、その、カメラの反対側、向こう側にいる監督の顔が”視えている”瞬間というものがある。大抵の作品は野心あふれるギラギラしたそれだったり、したり顔で見下ろしているそれだったりするのだけれど、市川準の場合は優しく、楽しそうに微笑んでいるそれが見えるんです、なんでなんだろう。

 

近年の映画、例えば岩井俊二の、是枝裕和の、坂元裕二の、あるいは哲学だけで塗りつぶされた山戸結希の、あるいは箱庭の中で輝いている山田尚子の、あるいは中川龍太郎の街への目線の、その中に市川準のまなざしの・ようなものを視てしまうことがあって、

それを友達や、好きな人や、あるいはまだ全然知らない人と分かりあえたら、共鳴できたら幸せなことだろうか、と夢想してみたりする。

 

やはりね、話せば話すほど野暮になってしまいそうで、それはきっとその映画とは反対なことであるから、なんとももどかしいのですが、

ともかくね、目黒シネマというおなじようにあたたかな劇場で、毎年、ささやかに彼の映画がかかっていることがとてつもなく嬉しいことなのです。きっちりと毎年足を運べているわけではないんだけどね。ですが、金曜日まで、まだほんの少しだけ時間があるので、機会を伺って、ひそひそと、観にゆきたいとおもいます。なんの報告だ。こんなふうにつらつら連ねても、観たことのない人には、何も伝えられていないと思うのですが、それが伝わらないからこその映画芸術なのだと思う。この際、言葉でさえも、市川準が遺したものにすべて委ねてしまおうかと思う。

 

僕の映画は、最終的には、

孤独な一人に届けばいい

 

 

チャイルドロック