カルチャー交感ノート

今週聞いたもの、見たもの、読んだものを書いて、交換して交感するノート

庵野秀明「ラブ&ポップ」「式日」

年齢がばれてしまうが、90年代の記憶は多くない。もやのかかったぼんやりとしたイメージが残っている。時間でいうと、夕暮れ。夕暮れの空気で覚えている。決して爽やかなもんじゃない。終末論や、その他のごたごたした情報のようなものを、自我がはっきりしない頭で聴いていた。その中にいた。

きょうから2000年が始まりました、というニュースを見て、年号という物があるのを知った。年度が変わり小渕首相が倒れて、総理大臣というものをはっきりと理解した。その時からいまと連続する自我のようなものが生まれたんだと思う。そのせいか、明るい時代ではなかったが2000年代は光のイメージで覚えている。時間でいうと、昼。リーマンショックやなんやらのイメージも、涼宮ハルヒらきすたニコニコ動画や東方の光のイメージに潰された。そんなにアニメは見なかったのにね。青春パンク、GO!GO!7188木村カエラRIP SLYMEなどのプレイリストを作って流したい。

ではしかし、私である私が生まれる前の私が観た、90年代の終わりのほうのその景色と空気は、果たして何だったんだろうと頭のどこかで考えていた。その頃に再放送か何かのエヴァンゲリオンを観た。新劇場版が始まった。そうしている中で見つけたのが、エヴァの後に庵野秀明が作っていた1本の傑作アニメ*1と「ラブ&ポップ」「式日」の2本の実写映画である(あと平野勝之監督作品)。観て驚いた。あの頃の私は、あの不穏な怠惰な特殊なカメラの中と同じ世界で生きていたとしか思えないのだ。

公開が延期された、最後のエヴァンゲリオン。その最後のポスターの東京タワーを観て、胸が高鳴った。もしかしたらこれは、エヴァンゲリオンからつながる作品であると同時に「ラブ&ポップ」「式日」からつながる作品であるのかもしれない、と。そもそもこういうニュアンスが監督の好みであると言われてしまえばそれまでですが、忘れ去られてしまっているあの実写群からの継続を感じませんか。無機質な鉄骨のイメージ。「全ての」という冠がつく理由も頷ける。

新作のエヴァンゲリオンは公開が延期になってしまいましたが、では公開に備えて観ておくべきなのは、アニメ版でも、旧劇でも、貞本義行の漫画版でも、これまでの新劇場版3作でもなく、ひょっとしたらこの「ラブ&ポップ」「式日」なのかもしれないと、そういう予感が私にはあるのだ。数年前に「シン・ゴジラ」で話題になったときも、そのストーリーや東日本大震災のこと、あるいは特撮へのオマージュやら、そんなことが語られていたのだが、私はこの「ラブ&ポップ」「式日からしっかりと継承されている、庵野秀明しかやらないカット割りとカメラワークにどうしたって惹かれてしまったのだ。アニメというのは画面に映るものすべてを制御できるわけだから、映っているもの全てに意図があるけど、実写映画はそうでない。現実の世界を切り取っているからだ。しかし庵野秀明はカットと撮影で、その全部に意味をもたせようとしてしまった。あの頃はDVDのレンタルもしていなくて、ましてやサブスクリプションなんてなくて見るのに非常に苦労しましたが、なんといまはアマプラなどにあるみたいなのでぜひ観て欲しい。

 

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