カルチャー交感ノート

今週聞いたもの、見たもの、読んだものを書いて、交換して交感するノート

大豆田とわ子と三人の元夫を見た

大豆田とわ子と三人の元夫を見た。面白かった。1話目ということで、なんとなく役者達の演技、物語のグルーヴ感、言葉のチューニングが合ってはいない気がしないでもないのだけど、それはこれから徐々に合わせていくんだろうな。思えばカルテットもそうだった。とはいえ、いつもの作品よりもタッチは軽くて(でもきっと伝えたいテーマはある)見やすいしケラケラと笑えてよかった。あぁ、坂元裕二の好きな作品がまたできるんだなという期待感を胸に3ヶ月、毎週火曜を楽しみに待つんだろう。おかえりなさい。

HONNE「Good Together」

今週の星野源オールナイトニッポンで流れていて久しぶりに聞いたけど、やっぱり大名曲だよなーって思っちゃうホンネちゃんの2016年リリースのこちら。2016年といえば、私は東京に出てきて1年が経った頃で絶賛社畜残業の状態にあった。今考えると自分自身の仕事管理に問題があったのは明白なのだけど、当時は腐りまくりながら残業してたなー。なんつーしょっぱい話は水に流すとして、その会社では勤務中にJ-WAVEを流す慣習があって(唯一のイカすポイントだった)、そのJ-WAVEでパワープッシュされていたのがこの曲だった。派手さは無いものの、適度にダンシングで何より歌が立っていて、作業中に流れる度にホンネだー!とテンション上がった記憶がある。思い出はほろ苦いけど、いつだって音楽には助けられてたなって改めて思い出したなぁ。ホンネいいですよ。

うめもと

庵野秀明「ラブ&ポップ」「式日」

年齢がばれてしまうが、90年代の記憶は多くない。もやのかかったぼんやりとしたイメージが残っている。時間でいうと、夕暮れ。夕暮れの空気で覚えている。決して爽やかなもんじゃない。終末論や、その他のごたごたした情報のようなものを、自我がはっきりしない頭で聴いていた。その中にいた。

きょうから2000年が始まりました、というニュースを見て、年号という物があるのを知った。年度が変わり小渕首相が倒れて、総理大臣というものをはっきりと理解した。その時からいまと連続する自我のようなものが生まれたんだと思う。そのせいか、明るい時代ではなかったが2000年代は光のイメージで覚えている。時間でいうと、昼。リーマンショックやなんやらのイメージも、涼宮ハルヒらきすたニコニコ動画や東方の光のイメージに潰された。そんなにアニメは見なかったのにね。青春パンク、GO!GO!7188木村カエラRIP SLYMEなどのプレイリストを作って流したい。

ではしかし、私である私が生まれる前の私が観た、90年代の終わりのほうのその景色と空気は、果たして何だったんだろうと頭のどこかで考えていた。その頃に再放送か何かのエヴァンゲリオンを観た。新劇場版が始まった。そうしている中で見つけたのが、エヴァの後に庵野秀明が作っていた1本の傑作アニメ*1と「ラブ&ポップ」「式日」の2本の実写映画である(あと平野勝之監督作品)。観て驚いた。あの頃の私は、あの不穏な怠惰な特殊なカメラの中と同じ世界で生きていたとしか思えないのだ。

公開が延期された、最後のエヴァンゲリオン。その最後のポスターの東京タワーを観て、胸が高鳴った。もしかしたらこれは、エヴァンゲリオンからつながる作品であると同時に「ラブ&ポップ」「式日」からつながる作品であるのかもしれない、と。そもそもこういうニュアンスが監督の好みであると言われてしまえばそれまでですが、忘れ去られてしまっているあの実写群からの継続を感じませんか。無機質な鉄骨のイメージ。「全ての」という冠がつく理由も頷ける。

新作のエヴァンゲリオンは公開が延期になってしまいましたが、では公開に備えて観ておくべきなのは、アニメ版でも、旧劇でも、貞本義行の漫画版でも、これまでの新劇場版3作でもなく、ひょっとしたらこの「ラブ&ポップ」「式日」なのかもしれないと、そういう予感が私にはあるのだ。数年前に「シン・ゴジラ」で話題になったときも、そのストーリーや東日本大震災のこと、あるいは特撮へのオマージュやら、そんなことが語られていたのだが、私はこの「ラブ&ポップ」「式日からしっかりと継承されている、庵野秀明しかやらないカット割りとカメラワークにどうしたって惹かれてしまったのだ。アニメというのは画面に映るものすべてを制御できるわけだから、映っているもの全てに意図があるけど、実写映画はそうでない。現実の世界を切り取っているからだ。しかし庵野秀明はカットと撮影で、その全部に意味をもたせようとしてしまった。あの頃はDVDのレンタルもしていなくて、ましてやサブスクリプションなんてなくて見るのに非常に苦労しましたが、なんといまはアマプラなどにあるみたいなのでぜひ観て欲しい。

 

チャイルドロック

 

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今日も東京で考え中

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ほんとは色んな書きたいことがあったはずなのだけど、どうやって書いたらいいのかよく分かんなくなってしまった。そういうことあるよね?あるある。

1つはもう12月で、言うてる間に今年も終わるねということを書きたかった。でもそんなに振り返る気持ちになってないのも正直なところだ。「今年はどんな年だった?」なんて色々ありすぎて書ききれないよな。嬉しいことも悲しいこともなんだか去年より心がぐらぐらになることが多かったように思うな。

何かあったり、時にはなんにもない時にもこの曲をよく聞いた。周りの人に心配してもらう程はセンチメンタルになったり、落ち込んだりしてる訳ではなかった(と思う)けど、仕事帰りに、眠れない夜に、可愛い女の子の事を考えるときに、飲んだ帰りに、サウナ帰りに、何か自分の気持ちを書きたい時に、よく聞いた。「言葉にしたら簡単すぎる」けど「好きなものがあってよかった」と思う気持ちをちゃんと残したいと思ったから、またブログを書き始めたんだろな。明日からも東京という場所で考えながら生きていく。うえー、なんか真面目になっちゃったよ。おしまい!

「M-1グランプリ2020年 2回戦・準々決勝」

M-1グランプリの決勝進出者が発表されました。いやぁなんという不思議なメンツ。かまいたちがラストイヤーを終え、和牛が一線を退き、ミルクボーイというダークホースが大暴れした翌年である今大会、もはや有力候補など存在しない。ユウキロック(元ハリガネロック)が"忘れ物を取りに来たよう"と評した気合を見せた、ラストイヤーの三四郎や、昨年の決勝ブロック進出者ぺこぱを振り落として並び立ったのはこのなんともいびつなメンツ。錦鯉、マヂカルラブリー、おいでやすこがってどんな大会だよ!?

いやもちろん、現在の決勝進出者に不満があるわけではない(もちろん、その資格もない)が、この混沌の裏には、感染症などの影響で、3回戦の実施がなくなり次ブロックへの進出者が絞られたりしたり、一部無観客・あるいは観客を減らして実施された影響がないとは言えないだろう。ただ、そのお陰(?)で、2回戦から全ネタがインターネットで配信され、我々は自宅にいながらその大会の情熱と混沌を眺めることができるのです。いやはや、なんという素晴らしい時代だ。

しかしね、このように、若いブロックの予選からネタを眺めていくと、今までテレビの中だけで観ていたM-1グランプリとは違った表情が見えてくる。例えば、「2回戦で一番面白いコンビは、決勝で一番おもしろいコンビとは違うだろう」と言ったような確信である。初めから、決勝や準決勝進出を見据えているようなコンビなどは、おそらく序盤から本ネタなど出してこない。しかし、「まだ半分の力しか出していない」というような余裕と貫禄がある。かっこいい。対して、何が何でも上に行ってやろう、というような気合で突き進むコンビがいる。例えはよくないが、高校球児とプロ野球の選手が並び立つような、不思議な大会。何せ、これは日本で一番エントリー数が多い漫才コンテストなのである。そこに「初めから決勝進出を見据えていない」だろうコンビなども加わってくる。これはけっして「思い出受験」のような意味ではなく、準々決勝あたりを狙っていたり、通過はともかく「風穴を開けよう!」ではないけれど、インパクトを残したい、と言ったような意。いやあ、これらをひと纏めに審査して、通過者を決めねばならないのだから審査員の方々には頭が上がらない。決勝は、どうしてもナイツ塙が「言い訳」で述べていたような得点を取る技術、スポーツとしてのお笑いの側面が強くなるし、これまで自分も「そういうものだ」と思って観ていた節があった。しかし、こんなに豊かで、多様性に富んだ予選を土壌にして作られているコンテストだったのか、という気づき。

つまりね、ここまでは前フリなのだけれど(前フリだったんかい)せっかくなので、私の目から観たこの予選を記録しておきたい、という思いがある。特にお笑いというカルチャーは”評価”することが素人の”審査”みたいになってしまい、恥ずかしくて言及するのが億劫になってしまうところがある(特に私が)。しかし、自分が面白いものを面白いと言いたい、という感情はそれと両立すると思うんだよ、という「言い訳」。なのでこの場を借りて(この場なら言える)、決勝進出者と同数の9組、惜しくも決勝ラウンドに残らなかったコンビの中から、面白かったり、美しいと感じたネタを紹介していきたい。(50音順)

 

 

Aマッソ (2回戦「首都高」)

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その言葉が本心かどうかはわからないにしても、今回のM-1に関するインタビュー動画では「どれだけ多くの人に笑ってもらえるかを意識して…」と話していたAマッソ。今までの”僕らのAマッソ”から”みんなのAマッソ”になるという宣言。尖りを減らしてポップな笑いへということか…と思ったら首都高!?首都高て!ともうそこでたまらなくニコニコしてしまった。こんな笑い方が彼女たちの本意かはわからないが、もうそのね、このネタを作り、チョイスしてしまうということが愛おしくてたまらないのです。ツッコミの加納さんは、先日出版したエッセイもいたく素晴らしかったので、近々その話も書きますね。

 

蛙亭 (2回戦「包丁通ります」)

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勝手に蛙亭はコントのイメージを持っていたんだけど、漫才もとても楽しくて大好きになってしまった。コントも作るからであろうか、人間の切り取り方が美してたまらない。「こんな人いるよなぁ」というだけではなく、敢えてそのキャラクターを演じるという選択や、「その展開に持っていくんだ」という選択そのものがもう、既に美しいのだ。ネタをボケの岩倉さんが作っているというのもいい。蛙亭準々決勝のネタもとても良かったのだけど、これもあんたが作ってんのかよ。愛おしい。私、岩倉さんに恋をしているかもしれません。あと中野くんもかわいく見えてくるからウケる。

 

からし蓮根 (2回戦「居酒屋の店員」)

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去年のファイナリスト。オーソドックスな居酒屋漫才コントをズバッと決めるかっこよさたるや。流石ファイナリストだなぁと唸ってしまいました。昨年から1年間、やってきたこと、取り組んできたことが漫才の中に見える気がしてそういうのも楽しいですね。同じく昨年のファイナリスト、インディアンスと並んで敗者復活を期待しているコンビの一つです。報われて欲しい。

 

真空ジェシカ(2回戦「商店街」)

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いやあ面白い。多種多様、593組がひしめく2回戦で、個人的に一番面白かったのはこのコンビ。正直このネタを観たときは、普通に決勝、少なくとも敗者復活戦までは行くと思っていたので、落ちてしまったのが非常に残念なのですが、動画が残っているということは見れば皆が知れるということなので素晴らしい。2回戦の短い分数でオーソドックスなボケから尖ったものまで多く入れながら、伏線もしっかり決めてくる。来年決勝で見るのをとても楽しみにしています。

 

シンクロニシティ(2回戦「英会話」)

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フリーのコンビ。お笑い専業ではないフリーがゆえ、今年も解散しないで出場してくれてありがとうという気持ち。わりとシンクロニシティの新ネタのために生きているんだ、という感情があります。音楽評論家の宇野維正さんが「世界観という言葉は何も言っていない」みたいなことを著書で言っていたことがあるんだけど、果たしてそうだろうか。もしかしたら評論というものはそうなのかもしれないけれど、私の感情を表そうとすると、シンクロニシティのこの「世界観」こそが好きなのだ、という表現になってしまう。あと、2人で「世界観」みたいなコンビも割といるけど、ボケの吉岡さんのほうに「世界」があり、ツッコミの西野くんがツッコむことと戸惑うことの中間にいるようなバランスも好きです。

 

Dr.ハインリッヒ(準々決勝「チーマーの後輩」)

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 だとするならば、2人で「世界観」というならばこのコンビ。前の記事でも話したけれど私はDr.ハインリッヒのことが大好きなんだ。しかし、前の2回戦よりわかりやすい、ポップな「チーマーの後輩」という大ネタを持ってきて、この芸風でこんなにしっかりウケているのはかっこいい。準々決勝のYouTube再生回数もTOPだったようで、ワイルドカードでの突破も最有力だったのだけど、惜しくも及ばずでかなしい。しかし、本当にかっこいいラストイヤーでした。反復は美しく、愛は並列で、しかし同じところをまわっているのではないのだ、という世界の理を、このネタもしっかり踏襲しています。

 

ななまがり(2回戦「変な客」)

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ななまがりも蛙亭と同じく、漫才よりはコントのイメージがあったコンビなのだが、つまり、反復になるがコント師とは「いかに人間を切り取ってみせるか」という命を課された生き物なのでしょう。それは勿論今年プチブレイクをした「ムーシー藤田」もそうであるように。しかし漫才というフォーマットに落とし込むと、かくも愛おしくなるものか。掴みからそうであるのだが、笑いをとるためのギャップと、愛おしさへの気付かせとの距離が非常に近い。すべての人の裏には生活が宿るが、しかし表との隔たりはそれこそがおかしさなのだ。そこへの目配せよ。傑作。

 

もも(2回戦「腹立つやつ」)

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何分でも観ていたい、という気持ちになった。ももは、今大会で初めて知ったコンビの1つだったのだが、非常に惹かれるシステム漫才だった。この形を突き詰めていけば、それこそ昨年のミルクボーイのようにそのうちドーンと跳ねそう。それぞれの芸名「まもる」と「せめる」の掴みからわかりやすく秀逸で、ということは腰を据えてこれでやっていくのでしょうか。もう自分も使ってみたくなっているんだけど、まだみんなの共通言語になっていないので言えないのが惜しい。「Dragon Ash好きなんだよね〜」とかつぶやいたときに言い返されたい。

 

妖怪客ふやし(2回戦「関西人」)

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まずもう「妖怪客ふやし」というコンビ名から何なんだよ、と思ったら、これモダンタイムスなのね!「勇者ああああ」を観ている人にはお馴染みの地下芸人。しかも、モダンタイムス自身は、どうやらラストイヤーらしくてそれも面白い。何やってんだよ。なんでユニットコンビだけで出てんねん。好みは分かれると思うけど、というかただただくだらないけど、あー笑った。涙出た。コメント欄に書いてあったんだけど、この中に関西人は一人もいないらしいです。なんでやねん!

 

 

チャイルドロック

「魔女見習いをさがして」を観た

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おジャ魔女どれみ」という作品を知っているでしょうか。少なくとも、名前くらいは知っているだろうけど、必ずしもすべての人が通ってきたコンテンツではないと思う。シリーズが地上波で流れていたのは4年ほど。決して短いというわけではないけれど、”ニチアサ”の女の子向け作品という特徴から、視聴者は限られるというか、いやそれも語弊があって、女の子だけではなく男の子も、物語にでてくる主人公格の3人からしてもわりと広めの世代に受け入れられてきた作品ではあるのだけれど、どんな人にも気軽に「観て!」と声をかけてしまうには「20周年記念作品」の看板は重い。

しかし、これは読んでくれているあなたの映画であるし、私の映画であるのだ。本当なんだよ。「おジャ魔女」を知っているか、これまで観たか、通ってきたか、愛してきたか、そんなこととは関係なく(もちろん、愛しているひとのための記念作品ではあるのだ)、これはあなたの、私の、僕たちの映画なのだ。かくいう私も「おジャ魔女」ド真ん中世代ではあるものの、毎週視聴していたわけではなかったし、大人になってから、友達がカラオケで入れた「おジャ魔女カーニバル!!」(本当に名曲!)を聴いて存在を思い出したほどである。余談だけど、なにせ2人いる監督のうちの1人は、この作品に関わるまで「おジャ魔女」を観たことがなかったらしい。

公開中の映画なので、あまりとやかく内容について触れられないのが心苦しいところなのだけど、心を打ったシーンがいくつもあった。例えば、

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これは公開日がまだ決まる前の特報ポスターなのだけれど、このポスターで影になっている"魔女見習い"が空を飛ぶシーンが何度かあって、それは僕らが叱責されているオフィスの、恋人と揉めている部屋の、人生に迷っている教室の、そんな窓にキラリと映って、通り過ぎていく。秀逸なのが、この影が魔女見習いでなく、他の何かでも問題がない、別に構わないということなのだ。例えば、育った街を出たサトシが、マサラタウンの空に見上げたホウオウ。サクラちゃんが追いかけて集めている、クロウカードのキラリと光る影。物語で3人が持ち歩いている”魔法玉”は仮面ライダーの変身ベルトだっていい。なんなら初めて買ったギターに貼り付けた、ナンバーガールのステッカーだっていいのだ。もちろん、物語の中でのそれは魔女見習いの影でなければならないし、魔法玉が呼び寄せた出会いではあるのだけれど、しかしこれは、大好きなもの、好きだったもの、信じ続けていたもの、そんなものを友達に、目の前のきみに伝えたい僕らのための映画だし、あなたと私が友達である理由を書いた物語なんだよ。魔法を信じている、かつて信じていた、すべての人へ、SMAPの「Joy!!」を聴いて泣き笑いした全部のともだちへ、観て欲しい。ねぇ、だってさ、あなたの机の引き出しからもドラえもんが出てくるかもって、そんなふうに思ったことあるでしょ。観てね、そしてあなたの魔法についていつか私たちに語ってほしい。どうしても気になるなら、アマプラでテレビシリーズの最初の2.3話か、5話くらいを観てから行ってくれれば、予備知識としては十分だと思うのだ。少なくとも、シネコンで全国公開している分、普段「観て〜〜〜!!」と言ってしまう単館上映の映画よりオススメしやすい作品なので、皆さんよろしくお願いしますね。

 

チャイルドロック

 

赤い公園「pray」

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生きていると色々な出会いがあり、別れがある。別れとも言えないような、まるでお互いが通り道のような関係だった人たちもいる。僕はやっぱりなんだか、そんなに人と簡単には仲良くなれない性格なのかなーと思ったりすることもあったけれど、今はそういった通り過ぎていく関係の中にも確かに楽しかった思い出とかあったよなとか、ちゃんと分かるようになってきたなと思う。簡単には連絡しなくなっちゃったけれど(しなさいよ)、できるだけ元気でいてくれるといいなと思う。なんか全然曲と関係ない話になっちゃったけど、赤い公園の新曲がとても素晴らしくて、そういった人たちの事を少しばかり考えたりした。またいつか会えるといいよな。その時はあの頃の思い出話とかできるといいな。

うめもと